「神は助くるものを助く」とか、「天は自ら助くる者を助く」といったことを、聞いたことがある方は多いことと思います。皆さんはこれらが言わんとしていることをどのように考えているでしょうか?
「神は助くるものを助く」とか、「天は自ら助くる者を助く」の一般的意味合い
web検索してみますと以下のように、出てきました。
1.天は、他人の助力を頼ることなしに、自分自身で努力する者にだけ、力を貸すことをいう。
2.自立して努力している者には天の助けがあり、幸せになる
3.誰かの力でどうにかしようとする人にいいことは訪れません。
上の3つに共通していることは、自分で努力しなさいということですね。
逆に言えば、努力しないと神は助けてくれませんよということになるでしょうか。
根底の思考
いずれにせよ、神というものの存在や力を信じ、見えざるところから援助してもらえるとかされないとか、根底の思考そのものが影響しているとは思えませんか?
「神は助くるものを助く」とか、「天は自ら助くる者を助く」といった言葉が一人歩きし、うまくいかないからとそこに助けを求めても、何か表面的には感じられませんか?
努力しないと良いことは起こらない?
ちょっと視点は変わりますが、いいことは、努力しないと良いこと起こりえないと考えますか?
ここではこの視点での”努力”ということについて、もう少し深く論じてみます。
例として、「車が欲しい」と考えている人がいるとします。
当たり前ですが、何の努力もしなければ車が手元に来ることはありません。
でもその人は何とか車を手に入れたいわけですから、色々なことを考え始めるわけです。
ではその色々な考えは、どのようなものか思いつくまま以下に上げてみます。
どの車にしようかな,欲しい車は、いくらぐらいなのかな,お金が貯まってから買おうかな それともそれともお金を借りて買おうかな,新車にしようかな中古車にしようかな,誰かから譲ってもらおうかな・・
このような考え方に加え、自分の家庭への影響なども考え合わせると、実に様々な思考が発生してくると思います。
このような思考を整理して、行動を起こし、その行動の経過に対して思考し、また新たな行動を起こす。
こうして最終的には希望の車が、手元に来るわけです。
いくつものこと柄をクリアして、車を手に入れるという目標を達成したことになりますね。
欲望が発生した時の思考から、目標達成までの思考
では車が欲しいという欲望が発生した時の思考から車を手に入れるまでの思考を考えてみてください。
欲望発生時の思考に従って行動したということになりますよね。
つまり努力をしたということになります。
この努力をしなければ車を手に入れることができなかったわけです。
ここまでのことで、もう気がついた方もいることと思いますが、努力は自分を助けていることになりますよね。
努力と ひらめき といった神の助け
そしてその努力を続ける中で、ひらめきがあったりするわけです。
そのひらめきを神の助けと捉えることもできませんか?
このように考えると、「助くるものを助く」といった意味合いが、理解できるのではないでしょうか?
「努力が神の助けを引き寄せる」という考えは、個人の内面だけでなく、社会全体にも影響を与えていると考えることもできるでしょう。
努力している人は、周囲の人々からも尊敬され、支援を受けやすくなるものです。
これは「見える助け」として直接的なものであるかもしれませんが、一方で「見えない助け」、例えばふとしたひらめきや偶然の出会いも、努力を続ける人々に多く訪れることがあります。
努力で得られるもう一つのメリット
また、努力をすることで得られるもう一つの大きなメリットは、自己実現に向けた内面の成長ではないでしょうか。
努力する過程で遭遇する挑戦や困難は、私たちの精神を鍛え、より強く、柔軟で、対応力のある人間を作り上げます。
このような内面の変化は、見えないかもしれませんが、人生の質を大きく向上させる助けとなっていくのは間違いないと思います。